ご挨拶

『ココロのセラピー学園』とは?

現在、私は、介護サービス業を経営しています。
経営といっても、実際には現場で奮闘していますが・・
一男一女をシングルペアレントで育ててきました。
息子は19歳の時、同乗していた車の単独事故により、生死をさまよい、現在は寝たきりの
生活を送っています。
話すことはできません。食べることもできません。
そんな息子の将来を考えて、介護事業を始めたのです。今年で10年になります。

私は、事務職・営業職・・いろんな職業を経験してきました。お仕事は好きです!

ただ、子育てしながら働くということは、時間の制約もあり、時間のやり繰りには、大変
、苦労しました。不条理なことを感じることも多く、悔しい思いもしましたし何度も泣きました。

そんな中で、学ぶことは多く、たくさんの方たちに関わらせていただく中で、人のパワーも
感じていました。とりわけ女性のパワーに魅力を感じました。介護事業を始めようと思えたのも、息子が居てくれたのは当然ですが、いままでの経験を
全て活かせるのでは?と思いました。

自分自身、自分の人生の終わりに後悔はしたくないって、いつも思っていましたので。
息子は話すことは出来ませんが、 「介助つきコミュニケーション法」で会話ができるので
す。話しができるんです。その時の心のあり方やもち方・・

それを気付かせてくれるのは、いつも息子なんです。そんな息子が私に言ったのです。

「コロナ禍だから余計に増えている感じがするんだけど自殺する人が・・」
「お母さん。自殺願望のある人や引きこもりしている人とかを何とかできないか?
自分の身は自由に動かすことが出来ないけれど、この方たちは“ココロ“が何とかなれば、
なんでも出来るのだから勿体ない。何とかサポートできないか?」
「お母さんなら、何か考えられるでしょ?」「この寝たきりで、どこも動かすことができない自分だけど、この身をさらけ出しても構わないから、何か考えて!」

私は、息子が事故に遭った時から“この子の手足になろう”と思って生きてきました。
この子がいうことは、私が動かなければと単純な考えで始まりました。
その時から、頭がフル回転に。でも何を繋げればよいのか?と・・
そして『ココロのセラピー学園』が誕生したのです。

息子がいった“ココロ”のあり方・もち方・・
私もそうだったな・・と思い出しました。
息子が事故に遭ったあの時。
死ぬと宣言をされた時。生活の中で、いつもいつも色んな葛藤と向き合わなければいけない日々。
息子は、何故、事故に遭わなければならなかったのか?
自分の息子が、何故、こんな重い障がいをもって生きなければならないのか?
この子の将来は、どのようになっていくのか?

キリがなく出てくることに“ココロ”が向き合ってくれないと、やはり真正面からは受けき
れないんだと・・

“ココロ”を軽くしポジティブに。時には疲れ切ったココロを癒し癒される場。訓練する場
があることが「人」って、将来に向かって生きていけるヒントとなるんじゃないか。
それを追求するのが『ココロのセラピー学園』の意義なんだと私は思う。

そのために・・・

『自分を知る』
とても大事なこと。ここがポイント!なのではないでしょうか?
そのあと、必要なこと、必要な場に、自分の身をおいてみましょう。
そんなことを一緒に考え、ご提案させていただくところが『ココロのセラピー学園』なのだと考えました。

Yahoo!ニュースに掲載されました

わが子の交通事故をきっかけに群馬県高崎市で「障がい者専用アパート」を事業として立ち上げ、自ら運営している山田和美です。

「私の息子・良は、2008年2月10日に発生した交通事故によって、遷延性意識障害となり、以来、全介護での生活を送っています。記事を拝見させていただき、我が家だけが特別ではなく、日本中、世界中に同じ思いをされている方がいらっしゃるのだと思うと、『親なき後』の問題は本当に大変なことなんだと改めて考えさせられます。 それだけに、弊社の事業は何が何でも継続していかなければならないのだという使命感も感じました」

事故発生から今年で13年。在宅介護を初めて12年目になるという山田さん。経営者として、また、わが子を介護する母親として多忙な日々を過ごしながらも、事故当時の衝撃は今も昨日のことのように鮮明に覚えているといいます。

「息子は知人の父親の友人の運転する車に同乗中、事故に遭い、脳に大きな損傷を受けました。かなりの速度を出し、街路樹に激突したようです。事故の一報を受けたときのあの最悪な状況は、経験した者にしかわからないでしょう。生死をさまよう息子に対面したとき、心が一瞬に壊れ、医師から言われた言葉、目に見えるものすべてが、夢なのか、現実なのかわからなくなり、受け止めるにはかなりの時間がかかりました。私はシングルマザーで二人の子供を育てていましたので、さまざまなことをすべて一人で受け止め、判断し、決断するしかなかったのです」

加害者は任意保険に加入しておらず、賠償能力はありませんでした。結果的に、自己破産をしたため十分な損害賠償を受けることはできず、山田さんは自身の自動車保険や加入していた生命保険、障害年金等で治療費や介護費を賄いました。

「群馬になければ創ればいい!」母は立ち上がった

1年2か月の入院生活の間に、山田さんは介護ができる自宅を新築し、福祉用具等をそろえて在宅生活の環境を整え、良さんを自宅に迎えました。そして、主治医、訪問看護、訪問介護、訪問入浴、訪問リハビリ、デイサービスなどの協力を得て、在宅介護をスタートさせました。

 

「1か月たつ頃には体の筋緊張も緩み、1年以上閉じたままだった右目も開くようになりました。私はそんな息子の息遣いを傍らに感じながら、一緒に生活できることに心の底から幸せを感じました」

 

しかし、山田さんの心の中には、拭い去れぬ不安があったといいます。それは「親なき後」のことでした。

 

「私がいなくなったら、この子はどうなるのだろう? この子を私と同じ思いで世話をしてくれるところはあるのだろうか……、そんな焦りを感じるようになっていました。県内にあるいくつかの施設を見学しましたが、家での生活とはかけ離れており、どうしてもお任せする気にはなれませんでした。でも、このままいけば、最後には入れたくない施設にお願いするしかないことが、現実として突き付けられたのです」

 

そんな中、山田さんはNASVA(自動車事故対策機構)の交流会に参加したことをきっかけに、横浜にある「タンポポの花」というグループホームを見学し、代表の話に目の前が開けたというのです。

「その方はおっしゃいました。『群馬になければ創ればいい』と。それまでは自分で始めるなんて一度も考えたことがありませんでした。もちろん、こうした事業を起業し、経営することは並大抵のことではないことも理解していました。でも、『息子さんのことを一番に考えていれば絶対に失敗はしない』という一言に背中を押され、親なき後の問題がわずかでも解消できればと、事故から4年後の2012年9月に法人を立ち上げ、2019年10月に、重度身体障がい者も暮らせるアパート&シェアハウス『LIEBE HAUS(リーベハウゼ)~愛のある家』の創業にこぎつけたのです。」

「事故に遭わなければ……、その悔しさはいつも頭の中に浮かんできます。やるせない気持ちでいっぱいになります。でも、その思いはブラックボックスの中に閉じ込めて、これも自分の人生なんだとよい意味で開き直り、ほんのわずかなことでも幸せを感じるようにしています。このような住宅が全国各地にあれば、心配せずに、親子として、家族としての時間を過ごせるのでは? そう思います。私自身、いつまで一緒にいられるかわかりませんが、これからも前向きに、息子と生きていこうと思います」

日本医療社会福祉協会全国大会 2012年出稿

2009年4月30日 退院。息子にとっては、初めて戻る新しいおうちに帰ってきました。

私的には、不思議なくらい不安はなく「やっとお家に連れて帰ってこれた!」と安堵の気持ちの方が大きかったです。

家事をしながら、息子の顔を見れて、娘のこともしてあげられて、自身の体は楽でした。

今までは、面会時間内に忙しく息子の世話をし、居眠りながら付き添っていたこともありました。

家では、疲れたら、横になったり、TVを見たり、友達が訪ねてきてくれれば、お茶しながら、息子の事をしたり、嘘のような時間を過ごしていました。

ただ、治るわけではないという現実だけは、実感する日々であって、次第に、「私が居なくなったら、この子はどうなっていくのか?」と。

何故、このように不安になったのか?というところが、「親なき後問題」の大きな課題だと思います。

 

親は、子より先に逝く。ということは順当なことで、言葉も発することができず、何一つ伝える事も、何もできない子を「誰かに託さないといけない」こと。

救急で搬送された時から決まっていたことなのですが、その時その時が必死過ぎて、先のことまで理解されている方はいないと思います。

事故に遭ったこと、重篤な状態、この先の生活。心の中は、耐えきれないくらいダメージを負っていながら、常に選択をしなければならず、それが永遠で、誰も答えを出してくれないのも現実です。

 

だけど、最終的に、私自身がどうなのか?と問うと、自分の人生、後悔はしたくないという思いが強かったのではと思います。勿論、息子のことが1番なのですが、自分が死ぬ時に「この子は、どうなるんだろう?」と心配しながら終わりたくはなかったのだと思います。それなら、全力でやってみようと。

【障がいがあっても、普通に暮らす】を、この子にも味わってほしい・・

先ずは、自分の分身をたくさん育成する。そして、親亡き後も、安心・安全・安楽なケアを受けながら、地域で普通に暮らせる場所を創ろうと目標を設定しました。

2012年9月 株式会社ファミリーハンズを設立・ 居宅介護事業を開始

2015年4月  介護保険事業を開始

2019年10月 アパート運営開始

「重度身体障がい者も暮らせるアパート&シェアハウス LIEBE HAUS~愛のある家」をオープン

起業時の目標は、7年かけて達成できました。しかし、20年30年続く会社であり続けなければなりません。

その為に、今は、人材育成、安定的な経営、事業継承を目指していかなくてはなりませんが、もしかして、ここからが一番大変なのかもしれないと思っています。

今の思い

1、社会的弱者の、この子たちが暮らしていける社会であってほしいと思います。

国が安定していてこそ、弱者も護る制度ができるが、コロナ禍で、税収入が減ってしまい、予算が減らされるのは、やはり福祉関連だと思います。

できるだけ、制度が変わらないことを、切に願います。

2、「成年後見制度」の改正

私たち家族にとっては、これこそ、悪法・愚法だと言い切れます。

何を守っているのか?誰のものなのか?を問いたいと思います。

改正を強く求めます。

3、介助付きコミュニケーションの周知

「ケアプランの決定」や「成年後見制度」のことを考える時に、本人の意思を確認することが前提だと思います。

意識障害等がある場合は、「考えや言葉をもたない」と思われ、思考がないと判断されてしまいます。

障がいがあっても「考えや言葉をもっている」という事実が、まだまだなされていません。

この方法があることで、「本人の望む医療」や「ケアプランの確立」、「意思決定ができることで、成年後見制度を使わなくてよい」「虐待防止に繋がる」とメリットがたくさんあると思います。

何より、本人の意思や思いが、家族に伝わることが1番だと思います。私は、最初の会話で、私の家族しか知り得ないことを、介助者の口から出たときは“これは本当だ!”と確信いたしました。事故から、3年が経とうとしていました。

息子の声を、やっと聴けたと、涙が流れたことを思い出します。

あの時から、息子のことが近くに感じれるようになりました。

では、どのような方法があるのか?ということをお伝えしたいと思います。

一部から批判されていることは承知の上ですが、これは私自身が確認していることですので真実です。

國學院大学 人間開発学部 初等教育学科 柴田保之教授の「介助付きコミュニケーション」の手法で、本人の意思を表出できます。声が聴けます。

4、再生医療の発展

事故当時には、まだ現実味がありませんでしたが、近年では、多岐にわたる成果発表を耳にすることが増えてきています。

国全体で、バックアップして欲しいと願っています。